ワーキングメモリー症候群 ~記憶の低下や集中困難の謎を解く~
目次
はじめに
導入
ある日、ふと本棚にあった電磁気学の本を手に取って、パラパラと開いてみました。すると、目に留まったページに「荷電粒子の電磁波放射」という内容が載っていました。加速度運動する荷電粒子は電磁波を放射する。少し読むうちにそれに興味が湧き、私は関連する計算を行いました。しかし、途中でスマホの通知に気づき、それを見ているうちに荷電粒子の電磁波放射に関する計算のことを忘れてしまいました。その後、この計算に戻って来ることは二度とありませんでした。
これは、学部時代に私が陥っていた最もよくある行動パターンの一つです。この例における「荷電粒子の電磁波放射」のような、突発的に湧いてすぐに消え去る興味関心は今まで大量に存在し、生活のほとんどがその「細切れの興味関心」にもっていかれてしまいます。そしてそれらは「細切れ」なので、やった端から取り組んだことを忘れてしまいます。ほとんどの文書は書きかけで、始めた電子工作のプロジェクトも最後までできたものはほとんどなく、やりかけのそれらの数だけが100、200、・・・と増えていくような学部時代を送っていました。
苦しさの主訴
この状態で一番苦しいのは、大量の物事をやったのに全て「ダダ漏れ」し、スキルや成果が何一つ残らないことです。突然何かを思いついて実行するものの、まとまらずにやめてしまい、その未達成の物事だけがどんどん増えていく、という状況です。これは分かっていても止められず、ある時は「自習ノート」を新しく作って「3日で1テーマ学ぶ」と決めて取り組んだのが、そのノートごと作った翌日には忘れていた、ということもありました(2022年12月ごろ)。
つまり、思いついたことばかりが先行して一向にまとまらず、結局何もできない、というのが一番苦しいのです。これは、まとめると次のようになります:
(1)ほとんどの興味関心が、突然の思いつきですぐに消えてしまう。
(2)長く続いた物事がない。10分続けばよいほう。
(3)やろうと思ったことを忘れる。
(4)一度「やる」と決めたことができない。多くはパニックや不調、新たな思いつきで中止になってしまう。
(5)一体いつ思いついたのか覚えていない、よく分からないアイデアばかりがゴミのようにたまっていく。
その様子は、傍から見れば何かを計算したり作業したりしているように見えるので、一見問題がないのですが、実際は何も身に着いたことや達成したことがないので、苦しいばかりなのが特徴です。本稿では、この現象を考察し、それがワーキングメモリーの慢性的な過負荷にあるという考えを述べます。
「無能力者」「衰えた」と嘆く日々
これらの「症状」は大学の勉学には現れないのが特徴です。レポート課題や試験対策のような強制力のある物事には、移り気や考えの散逸(散らばること)が現れにくいのです。あくまでも、趣味で行っている探究活動や自分で始めたプロジェクト、および生活の工夫やアイデアにおいて起こります。
大学の課題はこなせるのに自分の趣味はできない、というこの事態は、強制力がなければ自分は何もできないのではないか、という点で「自分=無能力者」という等式を誘起してしまいます。この一連の症状で一番苦しいのは、この等式を痛感する時です。したがって例えば、この症状で悩んでいるときに「人の才能や能力」を述べている動画やコンテンツを見ると、自分のことだと思ってしまい、落ち込んでいしまいます。例えば、次のアインシュタインの名言とされる言葉には、幾度となく傷つきました:
It’s not that I’m so smart, it’s just that I stay with problems longer.
(訳:私は、それほど賢くはありません。ただ、人より長く一つのことと付き合ってきただけなのです。)
ある時は、この極端な移り気と思考の散逸を指して「自分は衰えた」と嘆いていました(2019年~2023年)。高校の頃までは、この症状が見られなかったためです。 高校の頃までは、やると決めたことを最後までできていました。何か思いついた数学の問題も、最後まで計算して解を出せていました。しかし、大学に入ってからは、思いつく問題自体は高度になったものの、取り組む姿勢は崩壊していました。思いついた問題を計算しようと思えない。計算がまとまらないと、すぐにやめてしまう。果ては、問題を思いついたことすら忘れてしまう。私は、しばらくこれを「学ぶ内容が高度になったので、自分が追い付けなくなったのだ」と学びのせいにしていました。
病態の観察
では、この病態(1)~(5)は、何が起こしているのでしょうか。実は、大学入学後、この状態が落ち着いていた時期が、今まで2度ありました。それは以下の通りです:
(A)2023年10月~2024年2月:「心の平穏」の時期
(B)2026年2月下旬~今(2026年5月下旬)
この2つの時期においては、不思議なほど、思いついたアイデアが記憶に残り、また新たに始めたことが続きました。それまでの記憶の低下・移り気が嘘のように無くなりました。
そこでこれら2つの時期を観察してみます。まず、(A)の時期についてです。「心の平穏」という名前で呼んでいるこの時期は、それまで悩んでいた「天才主義」や「子ども至上主義」という悩みが終息した時期でした。大人になることの再定義という発想に至り、それによって今まで自分の心を巣食っていた考えがたちどころに収まり、それまで外界に対して過敏に反応していた思考を初めて他のこと(計算、考察)に割けるようになったのです。これは非常に大きな変化で、自分の精神的問題がきれいに(一貫した秩序をもって)整理できたのでした。
次に(B)について述べます。この時期は、大学卒業を目前に控え、卒論発表会の準備に取り組んでいました。しかし、ひょんなことから指導教員の先生に研究と思考の姿勢を批判されました。その批判の内容が、ちょうど前述の症状による病態であったことから、私は非常にショックを受けました(2026年2月12日)。私が「衰えた」と悩んでいたまさにそのことを、指導教員の先生から「キミは自己完結している」と痛烈に批判されたのです。これを受けて、自分が馬鹿馬鹿しくなり、私は強烈な希死念慮と、大量の悪い思考に襲われました。そのさなか、悪い思考を流されるままにノートに書きなぐったのちに、大学7年間の苦しみをきれいに悟ることができ、一転して精神状態が好転しました(2026年2月16日)。ちょうどこの時、卒論発表会が成功して卒業を達成できたので、そのまま休学して生活の負荷も減り、安定状態が長続きした、というわけです。
(A)の場合は「大人の再定義」で精神的問題が解決し、(B)の場合は「苦しみを悟ったこと」で精神的問題が解決しました。ここで精神的問題の解決とは何か?、ということを考えます。
精神的問題は、それが解決しない限り、常に脳のバックグラウンドタスクとしてエネルギーを消費します。そして、そのエネルギー消費はたいてい、割り込み思考や反芻思考、思考促迫として、ワーキングメモリーで行われます。すなわち、精神的問題にはワーキングメモリーを乗っ取る働きがあるのです。
では、これは何をもたらすのかというと、ワーキングメモリーが乗っ取られると脳の情報処理機能が低下します。何かを考えたり、何かに注意を向けたり、短期記憶として一旦保留したりする機能が低下するのです。これが、冒頭で述べた(1)~(5)の症状に他なりません。
まとめると、一連の症状はワーキングメモリーの機能不全によるものだということです。(A)(B)の時期は、精神的問題が解決したのでワーキングメモリーが解放され、記憶力と作業力が元に戻ったのです。したがって、ワーキングメモリーに十分な空きがあることが記憶力と作業力を元のレベルに保つ本質であるということができます。そこで、ワーキングメモリーが圧迫されて認知機能が落ちることを、ここでは「ワーキングメモリー症候群」と呼ぶことにします。
ワーキングメモリーが圧迫、占有される原因には精神的問題以外にも、広義の心配ごとや心身の不調、悲しい出来事など、様々なものがあります。しかし、どのような原因であっても、症状は同じ傾向を示します:記憶や集中が散逸し、決めたことができなくなり、未達成の物事が大量に溜まる。
こうして、ひとまず問題の所在がワーキングメモリーの圧迫にあることが分かりました。
症状のあれこれ
ワーキングメモリー症候群が「症候群」たる所以は、ワーキングメモリーの圧迫という同一の原因によって多彩な症状が現れることです。以下では、その症状を見ていきます。
認知機能の低下
もっとも分かりやすい症状は認知機能の低下です。これは上で述べた(1)~(5)のことです。
記憶力、判断力、作業力が一律にダウンし、頭が働かなくなります。強制力のある物事に対してこれが起こらなかったのは、それらは手順や期限が明確であるためであり、期限のない(自分で期限を決める)物事については、その「期限を設定して守る能力」も一律に落ちるため、成しとげられなくなってしまいます。すなわち、認知機能の低下に伴って真っ先に落ちるのが趣味や生活の質(広義のQOL)であるということです。
認知機能が低下すると、私の場合、パソコンの中のファイルがごちゃごちゃになります。次から次へと思いついたアイデアをパソコンのメモ帳やwordに書きなぐっては保存するため、パソコンの中のフォルダーがえらいことになります。自分でもいつ、どのようにして思いついたのか分からないファイルが、40、50と溜まっていきます。
さらに、時間は確実にその「ゴミのようなアイデア」に吸い取られて無くなっていくので、大量の時間を消費してできたことが一つもない、という冒頭の状態になってしまうのです。今までは「自分は趣味すらできないダメ人間に成り下がった」と思っていましたが、ワーキングメモリー症候群という視点を得た今は、それはダメ人間だからではなくワーキングメモリーが圧迫されていることに問題がある、とはっきり分かります。
何をやるにも迷いばかりで手が付けられない。
好奇心の大切さは分かった。熱中の大切さも分かった。しかし、いざやってみようとすると、できない。こんなもんではないと思い、すぐにやめてしまう。
わからないことを分かりたいと思えない。わからないことに直面すると、やめてしまう。以前のように、続かない。
2021年に書いたメモ帳の記述より引用
瞬発力のガタ落ち
次に思い当たる症状として、瞬発力の低下があります。これは例えば、電車で立っている老人に席を譲る時の勇気や、それを実行する行動力があります。このような時、見て見ぬふりをするのは楽ですが、その老人に声をかけるのは少し瞬発力が要ります。ワーキングメモリー症候群では、この瞬発力が落ちてしまうので、とっさの行動がとれなくなったり、楽なほうに流されてしまったり、チャンスを逃してしまったりします。
逆に言うと、ワーキングメモリーさえ余裕があれば、瞬発力は元に戻るということです。思えば「心の平穏」のころの私は、通学する道で困っている外国人の方に声をかけたり、電車で席を譲ったりするなどの行動が容易にとれていました。これも、この時ワーキングメモリーに大きな空き(余裕)があったことがその成因でしょう。この頃、散歩や自然観察、短歌が趣味になったことも、ワーキングメモリーに空きができて外界を味わう余裕ができたことを鑑みれば、偶然ではなかったのかもしれません。
やると決めたことができない
ワーキングメモリーが圧迫されると、やると決めたことができなくなります。課題などの強制力のあることは出来ても、自分で決めたことができなくなってしまいます。ワーキングメモリー症候群が悪化した時、私はしばしば3日坊主ならぬ「10分坊主」になっていました。自分でやると決めたことが、10分も持たないのです。これはワーキングメモリーが常に精神的問題などの物事で圧迫されており、これ以上の空きがなかったことが理由だと考えられます。
行動の問題・しゃがめない、空を見られない
笑うことが嫌いになる
パニック・自傷他害
水位理論
水位:低
水位:中程度
水位:やや高い
水位:高い
水位:極めて高い
対策
即時的な対処
(ア)悩みの可視化・整頓
(イ)やるタスクを決める
構造に即した対処
(ウ)優先的な悩みの外部化
(エ)五感を用いる
(オ)セーフティーネットの作成
より実践的な対処
(カ)状態の可視化
(キ)直近の課題を解決する
発展:言葉に対する過敏性との関係
発展2:不安定とは何か
今の自分には、高校進学に際して、ある種の鈍感さが必要。
2015年3月に書いたノートのメモ
最後に
本稿では、ワーキングメモリー症候群という観点から、集中困難やパニック発作などの症状を体系的にまとめました。この視点が、今後の生活の一助になればと思い、この記事を書きました。
実は、この「ワーキングメモリー症候群」という概念自体、なぜ気付いたのかと言うと、最近自分が極端な白黒思考をもっていることを改めて自覚したからです。今まで、母との関係や理性と感情の乖離など様々なことに悩んで来ましたが、その背景には白黒思考があったのではないか?ということが分かってきました。それについて、おとといと昨日はずっと考えていました。すると、毎日行っていた散歩を忘れてしまったり、集中が切れてきたりといった、これまで(学部時代)に特徴的な症状が再発しました。
そこで、この症状を実地観察してみたところ、ワーキングメモリーが圧迫されていることに気づいたので、「そうか、この一連の思考の鈍りはワーキングメモリーの過負荷なのか」と気づき、この記事を書くに至りました。まずは、この白黒思考について、日常生活が問題にならないレベルまで整理してみようと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

