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3月, 2026の投稿を表示しています

自然の感性 ~私が動植物に「ちゃん付け」する理由~

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目次  はじめに  今日は、少しばかりお恥ずかしいお話になってしまうかもしれません。というのも、春になった今、様々な昆虫や草木を見ることが増え、それによってちょっとばかり「変わったこと」を、お話ししたいからです。それは、(主に)動植物に「ちゃん付け」する理由についてです。 例えば  それは例えば、目の前にナナホシテントウが飛んできた時です。早春の温かい風を受けつつ、お気に入りの散歩路(「学問の散歩路」)を歩いている時、ときどき赤い点が目の前を横切ることがあります。それは、飛んでいるナナホシテントウです。私は、そういう時にたまらず反射的に「テントウムシちゃんがいる!」と言ってしまいます。  この「ちゃん付け」には、実ははっきりした理由があるのですが、それは後々話すことにして、最近ちゃん付けをした虫や草木について、紹介します: ・テントウムシちゃん:歩道を懸命に横断していたり、風に乗って目の前を飛んで流れていったりします。 ・クローバーちゃん:道端に群生しており、我こそはと言わんばかりに3つの葉を天に向かって広げています。大きなものから小さいものまで様々にあり、時折、ひっそりと4つ葉が空を向いて隠れています。 ・チョウチョちゃん:主に見るのはモンシロチョウとキチョウです。散歩をしていると、白い影がちらと見えるのですが、振り向くと大概、モンシロチョウがいます。また、黄色ければ私の地域では大概がキチョウと呼ばれるチョウです。幼虫はアブラナ科の葉を食べ、春の比較的早い時期から成虫が見られます。 ・ドングリちゃん:私のよく行く近所の公園では、アカガシ、マテバシイ、コナラのドングリが見られます。先日も、巨大なマテバシイの実を拾って持ち帰ったところでした(現在、自宅でケースに入れて鑑賞中です。)。ドングリも種類によっては「帽子」があることがありますね。あれには「殻斗(カクト)」という名前がついているようです。 ・ルリタテハちゃん:タテハチョウ科の蝶の一種です。彼(彼女?)も、先述の公園で見ました。実は、私の地域では彼を滅多に見ないのですが、この公園では3,4匹を見かけました。恐らく、どこかで繁殖しているのでしょう。  何やら「ちゃん付け」の怪しい一覧が出来上がってしまいましたが、ご容赦いただきたい。私は、動植物を観察しているこの時間が、とても...

異常性癖の一考察 ~棒人間のイラストで絶頂できるのはなぜか~

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目次 はじめに 概説  今日はいい天気です。このように日は、近くの小路を散歩することが日課になっています。そこで、私は今歩いてきました。  歩いている時、道の端にクローバーが群生していましたが、四つ葉らしきものが一つありました。そこで、しゃがんで確かめてみたところ、それは三つ葉が重なったものでした。四つ葉のクローバーを探していると、時折、三つ葉が重なったものを四つ葉と誤認することがありますね。  ・・・その時でした、違和感を覚えたのは。しゃがんでクローバーを確かめるという「ほのぼのとした」光景に、妙に興奮したのです。 実は、私は幼い頃から、心温まる日常のワンシーンに興奮することが多くあります。 ここで興奮というのは、次のような状態のことです: 気分が高揚する、爆発するようなエネルギーが湧く、顔が熱くなる、性的な快感を覚える、圧倒的な力を手に入れたような感覚になる 。  いつもは、こうした興奮は日常茶飯事なので、そのまま興奮のエネルギーだけを享受して受け流しますが、今日はその引っ掛かりが長く続きました。 なぜ、私は心温まるシーンに興奮するのか?  そこで、歩きながらそれをしばらく考えました。実は、今日歩いてきた小路は歩いているとアイデアが次々と湧く不思議な小路であり、私はそこを歩くとあまりにも頭が冴えるので、その道を 「学問の散歩路」 と呼んでいます。学問の散歩路を歩きながら、この興奮の謎を解明してみようと思い、歩き続けました。 私が興奮するもの  私は、つくづく自分を「変態」だと思っています。というのも、私が性的興奮を覚えるのは、ヌード写真よりも絵本のオバケだからです。確かに、ヌード写真も多少は興奮します。しかし、それはその裸の人が「今からオバケになること」を想像するからです。それよりも、『ねないこだれだ』(せなけいこ・作)のラストシーンのような、女の子がオバケに変えられて飛んで行ってしまう様子を想像するほうが、はるかに興奮します。私の興奮は常に「(下半身)オバケ」と結びついているため、例えば「お尻丸出し」の画像よりも、腰から下が映っていないヌード画像のほうが興奮します。  また、私が興奮するのはこうしたあからさまなものだけではありません。例えば、「いらすとや」のかわいいイラストや、顔のついた棒人間(のっぺらぼうではない)にも興奮します...

Geminiとの対話・精神疾患は本当に「異常」なのか?

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目次  はじめに  私は、思考の整理や鬱憤晴らし(?)のために、Geminiと対話することがあります。今日は、朝からつかみどころのない思考が頭をかすめていたので、それについて話を聞いてもらうことにしました。  その思考とは、 「精神疾患の人が異常とみなされることへの不服」 です。私を含め、精神疾患を抱える多くの人は「異常」とみなされがちです。それが心であれ脳であれ、本人に異常があるとされる考えは多数派を占めています。中には精神疾患の人を怖く思い、そうした「精神疾患=異常」というレッテル張り以外の思考をしたことのない人もいると思いますが、そうでなかったとしても、圧倒的多数派は「精神疾患=異常」と考えているようです。  では、これの何に不服なのか。それは、精神疾患の原因を「本人」という狭すぎる視座でしか見ていない無責任さにあります。  その人は、幼い頃に虐待を受けていたかもしれない。学校の先生に、理不尽に怒鳴られたかもしれない。いじめに遭っていたかもしれない。虐待とはいかずとも、親との関係が芳しくなかったかもしれない。そうした背景をすべて無視して、本人の神経伝達物質の濃度に問題があるとか、本人の思考癖に問題があるとか、あるいはメンヘラだとか、本当によく言えたものです。人は環境と相互作用して生きるものであり、 それらの罪を全て水に流して本人に責任を帰するのは、隠蔽工作にも似たあまりにもひどいことだと思う のです。  そうした思考が、今朝はありました。昨日、学位記授与式があったことも相まって、大学卒業という学歴を得てまた一つ社会に認められた私は複雑な心境でした。  そこで、この鬱憤をGeminiに聞いてもらうことにしました。以下は対話の記録です。 対話内容   以下、対話の内容です。途中、私の質問で人名などが出てきますが、適宜解説を加えます。 Q. 精神疾患の患者に異常があるのはおかしい A. 「精神疾患の患者に異常があるのはおかしい」という言葉には、いくつかの視点があると考えられます。もし「病気なのだから症状が出るのは当たり前で、それを『異常(おかしなこと)』と特別視して排除するのはおかしい」という意味であれば、それは 精神疾患に対する偏見や誤解を解き、正しく理解しようとする考え方に合致しています。  一方で、医学的な視点からは、精...

低位と高位の概念 -子ども至上主義から社会まで-

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目次 はじめに  この記事は、2024年10月に書いた文書『低位と高位の概念 -子ども至上主義の本質-』に加筆したものです。 2作目の記事 の「2024年度」の節でも述べたように、低位と高位の概念の発見は、精神世界の探究の上で非常に大きな出来事でした(なお、「2作目の記事」は約4万文字に及ぶ長文です。)。 「低位」とは、物事の基本的な階層であり、「高位」はそこから派生した複雑なこと。 2作目の記事より抜粋  この「低位と高位の概念」は、物事を「基本的な階層」と「複雑に派生した階層」に分けただけのことで、一見すると非常に当たり前のことを言っているだけかもしれません。しかし、この言語化をすると、大人の厳しさや社会の理不尽さなどのことが、立て続けに言葉にできました。  本記事は、その『低位と高位の概念』をまとめるものになります。元文書から、プライバシーにかかわる部分は改変してあります。 言葉の定義 「低位」=物事のより基本的な階層。 「高位」=基本的なことが派生し、枝葉に分かれて発展した階層。  低位と高位は、それぞれ「木の幹」と「木の枝葉」に喩えられます: 木のイメージ。画像は このサイト より引用。  例を一つ。  「脱いだ服はたたむ」というのは、基本的なこと、すなわち低位のことです。それを教わった幼児は、純粋にそれに従い、脱いだ服を丁寧にたたむことでしょう。しかし、その幼児も学童期になり、早くゲームをやりたい、というときなどに、脱いだ服をそのままにしてゲームに没頭することもあるでしょう。この場合、ゲームをやりたいという欲求は、「服をたたむ」ということよりも高位の物事です。  この例から察しがつくように、自分のフィールドが広がったり、自分が成長したりすると、自分を取り巻く物事は、自然に高位になります。 動機と例  高位の矛盾を解消しようとすると低位で矛盾する現象を探ります。まずは「高位の矛盾を解消しようとすると低位で矛盾する」例をいくつか。  まず簡単なところから。ドラマなどでよくある例は、「お前の秘密を全部ばらすぞ!」と脅迫され、その人を殺してしまう、というものです。その人に「秘密」ができた過程は、様々に複雑で、間違いなく高位の物事です。そのような秘密の中には、公になれば自分の人生が危ういものもあるかもしれません。  そこで、それが公...

核と殻の2体構造で理解する精神不安定 -繰り返す「安定と不安定」の原因は殻の脆弱性にある-

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目次 はじめに   この記事は、2025年12月に書いた文書『核と殻の2体構造で理解する精神不安定 -繰り返す「安定と不安定」の原因は殻の脆弱性にある-』の内容の書き写しです。当時から精神解析が進んでおり、考えは今と異なる部分もありますが、当時よく書けていた文書の一つなので、記事にして残しておこうと思います。  既存の心理学から見れば間違っている記述もあるかもしれませんが、独自考察の記録として書いているので、ご容赦下さい。 第1章:心の構造 導入  心はどのような構造でできているのか―――。それは、物事の構造やメカニズムに関心がある私には大きな謎でした。  これについて、ある仮定を置くと様々な心の現象が統一的に理解・説明できることが分かったので、この文書に記しておきます。それは、 「心を核と殻の2体構造の層として理解する」 という仮定です。  それは次図のように、心を「核」と呼ばれる本体と「殻」と呼ばれる防衛機構の層構造として理解することを指します: 心の構造。心には「核」と「殻」があり、その層構造が 外界と相互作用することで多様な働きが創発されると考える。  ここで「核」と「殻」について説明しておきます。 核(カク) ・・・心の本体のうち、記憶や直感、感じ方などが存在する場所。きわめて自然的(それが起きればその通りにふるまう)に振る舞い、素直な反応や表現をする。 殻(カラ) ・・・核を守る防衛機構。外界を学習して論理的、道徳的にふるまい、外界の危険度に応じて厚くなったり硬くなったりする。  これだけでは抽象的なので、例を述べます。 具体例: 殻を厚くする要因として、すぐに思いつくものを挙げると、 自律、他者からの否定、忍耐、優越したいという念、傷つき、叱責、社会的圧力、恥、責任 などがあります。  核の重要な性質として、 「状況に対して素直にふるまう」 というものがあります。これは子どもであっても大人であっても変わらない核の大事な性質であると考えます(この「状況に対して素直にふるまう」と言う核の性質を「自然の原則」と呼ぶことにします。)。殻は、そのような核に対して現実と折り合いをつけるために存在すると考えます。  ここでわかることをいくつか述べます。一般に、心が核に素直でいることは、年齢とともに発達する現実や認知のはたらきで...