空想世界の素晴らしさ・休学を始めた今の心境を綴る
目次
概説
良い曲は、聴くと素敵な風景にいざなってくれます。ある曲は黄金の朝日が輝く高地の花畑に、またある曲は、冷たい雨がしとしとと降る薄暗い湿地帯に連れて行ってくれます。聴覚過敏の私は、曲を聴くことで様々な場所に行くことができます。
しかし、それらの場所は、曲が終わってしまうと、帰ってこなければいけなくなります。曲の終了とともに、それらの風景は消えてなくなり、もといた部屋の一室に戻ってしまうのです。私は、大人になってからは、曲を聴くことで別世界に移動していた時期がありました。
一方、子どもの頃は曲などなくとも、空想だけでどこにでも行けてしまいました。体操教室に行く前、玄関を出ると外は曇っていました。それは何の変哲もない曇り空でしたが、私は雲の中に飛び込む様子を空想し、雲の中で泳ぐことができました。子どもの頃、空想によって、すぐそばにある別世界に行くことができました。
現在は、3月以降の環境調整が叶っているため、創造的なアイデアや思考が次々と浮かびます。そのなかで、子どもの頃ほどではないにせよ、空想世界に行ってしまうことがあります。医学的には、これは脳の抑制系の働きが鈍くなっているという風に説明できるでしょう。しかし、それは何とつまらない世界でしょうか。この記事では、久々に訪れた空想世界での実地観察を通して見えたことを書き綴っていきます。
空想との再会
ゼミでの一件
今、空想世界が再び現れたのには、理由があります。それは、今年の2月にゼミでとてもつらい思いをしたからです。
実は、私を支えてくれていたのは、人生の長きにわたって空想世界でした。先述したように、子どもの頃は頻繁に空想世界に行き、そこで生きることの喜びを味わっていました。中学生になると、暴言と体罰、厳しい校風の学校で不安定になりましたが、それでも数学との出会いを通して空想世界は保たれました。高校の頃も、「天才主義」などのつらい悩みはありつつも、空想世界とまではいかない小さい空想をしていました。
事態が変わったのは大学に入った時でした。履修や事務手続き、および自立の圧力などを通して、否が応でも社会的な自分を認識し、空想することができなくなってしまいました。それによって、空想で発散できていたエネルギーが行き場を失い、パニック発作が頻発するようになりました。大学の勉強も手に着かなくなっていき、大学は7年かけて卒業することになりました。その間、パニック発作は(数えただけでも)287回ありました。
その大学を卒業する最後の最後の時期であった2月12日、私の勉学への向き合い方をめぐって、指導教員の先生から説教を受けました。勉学への向き合い方は、もとをたどれば空想ができないことに対する生存戦略(心の守り方)とも関係していたので、私は自分そのものを否定されたように思い、打ちのめされました。そしてこの日から、自分を高度に律することができなくなっていきました。
その後の1か月は、たった1か月間で7年間のパニック発作の1割強に達する回数の発作を経験しました。発作の中で、私は一切の刺激を取り入れることができなくなり、予定もすべてキャンセルして毎日平坦な生活をしていました。すると、次第に変化が起こってきました。
最初の空想と創造性の爆発
ある晴れた日の午後、窓の外を見ると、青く澄み渡る東の空に向かって、天高く伸びゆく光のはしごを見たような感覚になりました。私は、そのはしごをもう少し見てみるために、外に行きました。外は、凍てつく冬とは違い、さわやかな風が吹いていたので、そのまま散歩をしてみました。久々の外で、私は2時間ほど夢中になって歩きました(3月14日)。これが、久々に訪れた空想でした。
その後、堰を切ったようにアイデアが湧くようになり、私はそのアイデアを書きつけるためにノートを一冊用意し、漫画や短歌、俳句やイラストを思うがままに記録しました。次第に描いたキャラクターに関する空想を見るようになり、そのキャラクターとコミュニケーションをとっているような感覚になることもありました。そして、散歩はその回数がさらに増え、「学問の散歩路」と名付けた道を歩いているうちに、大学4年時の研究テーマのおおよそのことがわかるようになりました。机に向かっていた頃はあれだけ悩んでいたのが嘘のように、視界がクリアになっていくさまを感じました。
この時、主治医には環境調整でしばらく祖母の家にいたいということを伝え、祖母にも相談してあったので、この環境はすぐに変わることはなく、空想は加速しました。そしてついに、4月に入ると俳句や短歌の質が向上し、それぞれコンペに応募することができました(今は結果を待っています)。
空想の中で見えたもの
空想を数多く経験する中で、それまで分からなかったことが分かるようになるとともに、いくつかのことを言語化することができました。ここでは、それについて書いてみます。
大学7年間のつらさの本質
大学生活は慌ただしく、また自分を高度に律する必要もあったので、そのただなかにいた私は、大学生活の苦しみの原因が分かっていませんでした。ある時は「物理学を十分にやれていないこと」が原因だとか、またある時は「自分が天才ではないこと」が原因だとか考えましたが、どれも違っていたように思います。
大学7年間のつらさは、ひとえに「大学生」の名のもとに自由な思考を抑圧したことではないか、と今は思います。空想をはじめ、私は自由な思考に浸っている時が最も幸せです。しかし、大学7年間は、学修のために、家族のために、人間関係のために、自由な思考を抑圧・加工し、ふつうの大人として生きることを余儀なくされていました。周囲の支援者の方にも説教や指導をされ、また主治医や母にも気を遣ってしまい、私の自由な思考は際限なく圧されていました。しかし、それは一見すると「大人として当たり前のことをしているだけ」なので明示的に訴えることもできず、私は常に満たされない違和感を抱えながら大学生活を送っていました。
今、あらゆる禁制からも自由になり、刺激を遮断した生活を送るようになると、大学生活を苦しめていた原因はこうした抑圧、加工の環境だった、ということにはっきりと気づきました。今は、自分が空想世界に行けること、およびそれらを表現することを楽しみにしています。
「本当の自分」は面白い人
大学生時代は、実験の授業などがあると、集合時刻の30分前にその場に着いたり、提出物の期限や形式をしっかりと守ったりする人でした。しかし、今の自分は基本的なことはこなしつつも、そこすらも解放されてしまいました。これは何も時間や期限にルーズになったという訳ではなく、そうした約束はメモ帳を駆使して守っているのですが、忘れものと些細なミスがとても多くなりました。一番困ったのは、学位記授与式のために上京した後、アパートで学生証を地元に忘れたことに気づいたことでした。こうしたうっかりミスが、最近は分かっていても防げません。
また、過集中も目立つようになり、本ブログ2作目の超長文記事(4万文字)を1日、正確には正味11時間で書き上げてしまうほか、数学的計算や物語の作成に時間を忘れてしまうことも増えました。アイデアはいつ何時思いつくか分からず、時には夢の中でも閃いてしまうので、起きる時間は、最近は4時台が多いです。
最近は物事の管理がやや大変になりましたが、本当の自分がのびのびとやれていることの方が大事なので、解決方法をあれこれ考案してうまくやれています。そして何と言っても、自傷他害を伴うような深刻なパニック発作は皆無になったので、これが嬉しいのです。
大学のシステムから自由になった「本当の自分」は、予想以上に面白い人でした。
底をつかない探求心
祖母の家には、地域猫である「ミー」が出入りしています。私は、ミーと遊ぶことがあります。
ミーは他の猫の例にもれず、とても活発で動くものにじゃれて遊びます。そこで私は、自身の計算した紙や新聞紙などを丸めて、ミーに差し出してみます。すると、ミーはスイッチが入ったようにその紙にじゃれます。
それを観察していると、ふと以前見たことのある動画が思い出されました。それは「ドリブルコーチ」のサッカー選手が頭にカメラをのせ、自身のドリブルを撮影した動画(TikTok)です。私は、ミーの動きがそのサッカー選手にそっくりである事実に気づきました。
これは、猫の体とサッカー選手の体の使い方が似ていることを示唆しています。私もドリブルをすることがあるので分かりますが、鋭い切り返しや繊細なボールタッチは難しいです。しかし、ミーの動きは、それらをこなすサッカー選手にそっくりでした。これはミー及びそのサッカー選手に共通する自然な体の使い方があることを示唆し、興味深いと思いました。
また、ミーはしばしばストーブの前で横になり、くつろぐことがあります:
このような具合に
ふつうであれば、「猫のよくある姿勢だな」と思ってやり過ごすかと思います。しかし私は、「どういう姿勢なのだろうか?」と疑問に思い、すぐさま真似てみました。
すると、猫にとっては楽そうなこの姿勢が、実は維持するには腰や体幹を上手に使わなければ不可能であることが分かりました。また、この姿勢は長く続けると、首や腰の関節が次第に痛みます。このことから、猫の体幹が強靭であること、そして関節が滑らかであることが身をもって理解できました。猫の姿勢を見て実際にやってみようと思うような、こうした探究心をもつことが最近は多いです。
また、散歩中に飛んでくる蝶を見た時に、彼には世界がどのように見えているのだろうと想像してみたり、イヤホンを流れる電流が音を作るまでの過程をアニメーションで想像したりするなど、最近は空想を伴った(小さい)探究も発生し、日常の解像度が上がりました。電車に乗っても、窓の外の景色を見たり、広告を見て自分も広告の原案(架空)を考えたりするなど、暇な時間はあまりありません。
創作意欲が洪水のように
日常で出会う無数の空想を味わうにとどまらず、それを形にしたいと思うことも増えました。
そのような最近やっているのが、日常の瞬間を切り取る俳句や短歌です。幾つかはコンペに応募したので明かせませんが、今即興で作ったものを挙げると次のようになります:
春雨や こぼるる音も 窓の外
目を閉じて 聞こゆる音は 一台の 車のエンジン カラスも啼いて
曇り空 包む都会も 桜散る
今の数分で作ったものなので、拙いかもしれませんが、悪しからず・・・(今は、アパートの一室におります)。
追記(2026年4月8日):3つ目の句は「曇り空 包む都会の 桜散る」のほうが良い??
また、最近は小説や絵本の原案も浮かぶようになりました。このうち、最も自信のあるものは今日、とあるコンテストに応募させていただきました。
私の人生を振り返っても、ここまで空想に浸れる時間は貴重で、これを形にして残しておきたいと思います。そのため、今はこうして主に言語化の形で残しています。近々、写真や絵などでも残すかもしれません。
勉強意欲も少しばかり
一時は休止した勉学ですが、これも面白くなってきました。自然に任せたのが、功を奏したのでしょう。
大学4年時に行った研究を見直すことも、少しずつできるようになってきました。まだ本格的にはできませんが(2月12日の体験を想起してしまう・・・)。また、最近はオリジナルの計算テーマも浮かんできました。それは、雨が降っている時に行う実験に関する計算で、簡単に言うと特殊な計測を行うことで雨粒の直径が求められるのではないか、というものです。まだ計算は完成していませんが、今のところある難解な積分の統計平均を計算すれば答えが出るところまで来ました。
何やら、文系と理系の区別など、もはやないような生活をしていますが、これが自分らしい生活なのだと納得しているところです。思えば、文系と理系という区別も人工的なもので、そんなもの子どもの頃にはなかった。
展望
しばらくは、この空想世界を伴った生活を続けるつもりです。これによって、どこまで自分が成長できるか楽しみに思います。
この生活を維持するための手法も、いくつか考案しました。この対策については2記事目が良くまとまっているので、そこから抜粋します:
(1)週の3日を自宅で過ごし、週の4日を祖母の家で過ごす(可変)。
(2)自宅にいる間は、ガスライティングに巻き込まれないように実地観察をする。
(3)祖母の家では、今まで通り創造的な活動を行う。
(4)大学の学生支援の先生、訪問看護の看護師の担当を替えてもらう。
今は、これらすべてが叶っている状態です。本当に、ありがたい。
今後、アイデアが湧きすぎて疲れた時に実践する対策も持っておくべきでしょう。それについても、追って考えていきたいと思います。一番重要なのは、この生活を持続可能にすることです。創造性や過集中をうまくコントロールできるようになることが、もしかすると今後の人生を切り拓いていくことに必要なのかもしれません。
